民事事件における「準備書面」とは
「準備書面」という聞きなれない言葉
民事事件を弁護士に依頼したことがある方は、弁護士が打ち合わせの際に「準備書面」という聞きなれない言葉を度々発するのを聞かれたことがあると思います。中には、弁護士が何の説明もせずに「準備書面」という用語を使うのを聞いて、「なんだよ? 準備書面って!」と思った人もおられるかもしれません。
「準備書面」とは
民事裁判手続きを定めた民事訴訟法は、「口頭弁論は、書面で準備しなければならない。」と規定しています(161条1項)。そして、同条2項は「準備書面には、次に掲げる事項を記載する。」として、①「攻撃又は防御の方法」、②「相手方の請求及び攻撃又は防御の方法に対する陳述」、の2つの事項を挙げています。
要するに、「準備書面」とは、口頭弁論(テレビドラマで見かける法廷での弁論をイメージしてください)での主張の準備のために、自分の正当性を基礎づける法的主張及び事実関係の主張、並びに相手方の主張に対する答弁、認否、反論等を記載した書面ということができます。
口頭主義と「準備書面」
ところで、民事訴訟の大原則は、「口頭主義」であって、民訴法も「当事者は、訴訟について、裁判所において口頭弁論をしなければならない。」(87条1項本文)と規定しており、本来であれば、裁判における主張は、全て法廷で裁判官や傍聴人に対して「口頭」で行うべきものです。しかし、実際に全ての主張を法廷において口頭で述べることになれば、何時間もかかってしまうし、記録として残す作業も大変なことになります。そこで、前述のとおり各当事者が「書面で準備しなければならない」とされているわけです。そして、法廷において裁判官が「提出した書面を陳述しますか?」と聞いてくるのに対して、「陳述します」と一言述べることで、その準備書面の全文を読み上げたことになるのです。このため、「法廷での迫力ある弁論が展開される」と期待して臨んだ傍聴人が、拍子抜けしてガッカリするという場面も生じえます。
このように準備書面の提出で実際の弁論に代える、というのは訴訟経済上やむを得ないことではあります。但し、「公開の法廷で裁判官に対して直接、生の声で自分の主張を訴え、理解してもらう」という口頭主義の大原則は、人類の長い裁判制度の歴史の中で生み出された叡智であり、簡単に形骸化されてはならないということも、是非、留意されるべきです。このため社会的重大事件などでは、口頭弁論期日において、当事者や代理人弁護士が口頭で意見陳述を行い、裁判官に直接声を届けるということもしばしば行われています。ただ文字で読むのと、直接、必死に訴える声を聴くのとでは伝わり方が違うのは誰しも経験することですよね。
「準備書面」は簡にして要を得たものであるべし
準備書面は、出来るだけ簡潔に要点を整理して作成するべきものであるといわれています。それは準備書面の読み手(読者)は、裁判官であり、その裁判官は多くの事件を抱えており、いたずらに冗長な書面を読む暇などない、というのがその大きな理由の一つでしょうが、そもそも優れた文章は、論理的に整理され、必要最小限の内容を、説得力のあるレトリックを駆使して作成されるべきものである以上、ちゃんとした準備書面であれば無駄に長い文章になるはずはない、ということでしょう。準備書面のページ数の多さを誇っても意味がありません。
ただし、一般論はそうですが、事件の内容によっては長文の準備書面とならざるを得ないということも当然にありえます。例えば、大型の集団訴訟、最近で言えば建設労働者のアスベスト被害について国や企業を相手とした「建設アスベスト事件」などは、1つの準備書面が何百ページにも及ぶことが稀ではありません。その場合、複数の弁護団員が原稿を持ち寄って1つの準備書面に纏め上げるために何回も会議を重ねてゆきます。そのような事件では「弁護団の叡智の結晶」としてかなり膨大な準備書面が出来上がるのです。
私が最近書いた長ーい「準備書面」
ところで、私も、最近、一人で担当している事件ではありますが、かなり膨大なページ数の準備書面を書くということがありました。準備書面のページ数にして146頁、文字数にして99,192字という長さです。この文字数には漢字も含まれるので、私はパソコンのキーボードを少なくとも10万回以上叩いたことになります。400字詰め原稿用紙に換算すると約248枚分(99,192字÷400字=247.98)。
これが岩波文庫でどれくらいの頁数になるのかについても換算したくなりました。そこで手近にあった『知性改善論』(スピノザ著・秋保亘訳)でどれ程にのページ数に相当するかを計算してみました。この岩波新書の1頁当たりの文字数を調べてみると、41字×17行=697字。したがって、私が書いた上記準備書面を岩波文庫に換算すると、約142ページ分になりました(99,192字÷697字≒142.31)。そして、この岩波文庫は全145頁なので、私はこの岩波文庫1冊分の準備書面を書いたことになります。なんだか、スピノザと同じ知的レベルに達したかのような錯覚を覚えます、というのは冗談ですが、「我ながら相当の分量の書面を書いたのであるなあ」という感慨は覚えました。
このように長い書面になるにはそれなりの理由があり、決して無駄に長くなったのではありません(と思っています。)。事件は未だ係属中であり、残念ながらここで具体的な内容については触れることができませんが、相手方から出された訴状自体が100頁近くの膨大なもので、提出された証拠も180点にも上るものであるため、これに的確に反論しようと思うと勢い上記の頁数になってしまいました。
法廷弁論の見本といえば
さて、先に見たとおり、「準備書面」は法廷での弁論に代えて提出する文章ということができます。このため日本の裁判制度においては、法廷での迫力ある弁論もさることながら、如何に説得的な「準備書面」を作成して提出するかが極めて重要になります。ところで、法廷弁論と言えば、今から2000年以上も昔のギリシアはアテネにおいて、弁論家デモステネスが迫り来るマケドニア勢力に抗して「ギリシアの自由」を高らかに謳った『冠について(クテシポン擁護)』という演説は、もっとも完璧な弁論である、といわれています。邦語訳が京都大学出版会から出ており、私も一日も早く手に入れて読みたいと思っていたのですが、先日、東京出張の折に神田神保町の本屋で見つけてやっと手に入れました。今後じっくり読みこんで、是非、準備書面の作成に活かしていきたいと思っています(つまり、正直に言いますと、恥ずかしながら「まだ読んでいない!」ということです)。