はじめに
近年、「マイクロアグレッション(microaggression)」という概念が、職場、教育現場、福祉・医療の分野などで注目されています。もっとも、この言葉は心理学・社会学に由来するものであり、法律概念ではありません。そのため、ハラスメントや違法行為とどのような関係にあるのかについて、混乱が生じやすい面があります。
もともとは、朝の家事時間に流し聞きをしていたテレビ番組をきっかけに、そして優生思想について考える助けにもなればと思い、参考文献「日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション」(デラルド・ウイン・スー、明石書店)を読んでいたのですが、自身の経験から「あるある」と思うこともあれば、気づきもありましたので、まとめておきたいと思います。
1.マイクロアグレッションの概念
マイクロアグレッションとは、アメリカの心理学者デラルド・ウィン・スー(Derald Wing Sue)らによって体系化された概念で、
日常の中で、無意識または悪意なく行われる、差別的・侮辱的・排除的な言動や態度
を指します。
特徴は、行為者にとっては「些細」「冗談」「善意」であっても、受け手にとっては尊厳を傷つけられた経験として蓄積する点にあります。
スーによると、あからさまなレイシズム(ヘイトクライム、身体的攻撃、人種的な悪口、露骨な差別表現)は減っているようにみえるが、目に見えない、形容しづらい、遠回しなものになってきているといいます。
スーは、マイクロアグレッションを次の3類型に整理しています。
(1)マイクロアサルト
比較的露骨な差別的言動や排除行為を指します。行為者自身が差別的であることを一定程度自覚している場合もありますが、「冗談」「本音」「現実論」として正当化されることもあります。
具体例(職場・組織で実際に起こりやすい場面) – 特定の属性を揶揄する呼称やあだ名を繰り返し用いる(例:「あの人はちょっと“病気持ち”だから」「外国人枠」など) – 会議や打合せの案内を、特定の人にだけ意図的に送らない、発言の順番を回さない – 「正直言って〇〇の人は信用していない」「〇〇の人には重要な仕事は任せられない」と明示的に述べる – 職場の雑談や飲み会で、特定の属性を笑いの対象にする発言を繰り返す
これらは一見すると小さな言動であっても、明確な排除・敵意のメッセージを含み、心理的安全性を直接侵害します。
(2)マイクロインサルト
無意識の偏見やステレオタイプに基づき、相手を軽視・侮辱する言動を指します。表面上は配慮や評価の形を取ることもあります。
具体例 – 「女性なのに、論理的ですね」 「障害があるのに、よくここまでできましたね」 「外国出身なのに、日本の職場にうまく適応していますね」会議における女性のコメントを無視する
(3)マイクロインバリデーション
当事者が感じた違和感や被害経験を否定・矮小化し、問題として取り扱わない言動を指します。対応の場面で生じやすく、組織的な二次被害につながることがあります。
具体例(相談・指摘を受けた際の対応として) – 「あなたがそう感じたとしても、一般的には問題にならないと思います」 – 「悪気はなかったので、ハラスメントには当たりません」 – 「仕事上の評価の話を、差別の問題にすり替えないでください」 – 「誰でも同じようなことは言われていますよ」 – 「今さら蒸し返す話ではないでしょう」
具体例(制度・運用としてのインバリデーション) – 相談を受けながら、事実確認や是正措置を行わずに様子見とする – 問題提起した側に対し、「波風を立てないように」と沈静化を求める – 個人の受け止め方の問題として処理し、組織課題として扱わない
特に③は、元の言動そのものよりも、被害をなかったことにする作用を持つため、深刻だとされています。
2.マイクロアグレッションとハラスメントの関係
(1)両者は同一ではない
マイクロアグレッションは法令上の概念ではなく、それ自体が直ちに違法となるわけではありません。一方、パワーハラスメントやセクシュアルハラスメントは、一定の要件のもとで違法性が問題となる行為類型です。
もっとも、両者は無関係ではありません。
(2)ハラスメントの「前段階」としてのマイクロアグレッション
マイクロアグレッションは、
- 小さな言動
- 無意識の偏見
- 日常的・反復的な発生
という特徴を持ち、これが放置されると、
- 職場環境の悪化
- 心理的安全性の喪失
- 発言や相談の萎縮
につながります。この過程で、ハラスメントとして法的評価の対象となる状態が形成されることがあります。
3.マイクロアグレッションは法的に違法か
(1)概念それ自体は違法ではない
マイクロアグレッションという言葉そのものが、法律上の違法概念として用いられているわけではありません。そのため、単発のマイクロアグレッションが直ちに違法と判断されることは通常ありません。
(2)法的違法性に接続する場面
もっとも、次のような場合には、既存の法理により違法性が問題となります。
- 反復・継続により就業環境や学習環境が悪化した場合(ハラスメント)
- 特定の属性を理由とする不利益取扱いが認められる場合(差別的取扱い)
- 相談や問題提起を受けながら是正措置を取らなかった場合(安全配慮義務違反・使用者責任)
マイクロアグレッションは、これらの違法性を基礎づける背景事情や間接証拠として評価されることがあります。
4.マイクロアグレッションを克服する
スーによると、マイクロアグレッションを克服する最初の一歩は次のような者であるといいます。
マイクロアグレッションで最も大きな損害を与えるのは、善意の加害者が自覚している意識のレベルを外れたところで起きる時である。マイクロアグレッションを定義し、表れ方と影響を理解することから始める必要がある。
②マイクロアグレッションを認識する
適切な介入は、マイクロアグレッションが認識されたその場所、その瞬間にのみ可能になる。それは、第三者間で行われている場合もあるし、自身が加害者・被害者になった場合もある。
③マイクロアグレッションの隠された意味を分析する
マイクロアグレッションは我々の信念や態度、ふるまいの中に文化的に強く植え付けられた自民族中心主義的な価値観、バイアス、思い込み、そしてステレオタイプに満ちた世界観の反映である。
マイクロアグレッションの克服のために必要な行動が取れるのは、自覚できた時だけなので、まずは知ることが第一歩であるといえます。